出来れば施術を受ける前に読んでほしい私の想いと取り組み
臨床検査技師を14年行いました
私は臨床検査技師を14年行いました。
その時の総合病院での勤務の時、私のフロアは2階、検査室を開けますと正面には陣痛分娩室、右手には手術室、そして家族のための待合の椅子、左手には当時公衆電話が2台あり、その廊下を曲がると整形外科そして左側には産科、婦人科、上の階には脳外科などがありました。
特にその病院勤務だった時、私は朝まず生まれたての赤ちゃん血液を採取しに行きます、足の裏からです。そしてその足で上の階にあります未熟児室へ入ります。新生児はもてはやされる喜ばれる命なのに対して、未熟児室では500グラムぐらいの小さなちいさな子猫ちゃんの泣き声のような赤ちゃんからも血液をいただく、そんな朝のスタートでした。早く出産しなければならないような事情が母体にあったとしても、もてはやされる新生児の命と、常に緊迫したなかで保育器の中で育つ命、その根本は何なのであろうという思いがいつもありました。
同時に、私のセクションは血液セクションだったのですけれど午後からは、明日・明後日手術ですという方の患者さまの血液検査に病室を訪れます。そうしますと患者さんは自分のこと、なかなかお医者さんにどう聞いたらよいのかわからないとか、手術に対する不安。もうおまかせするしかない気持ちや、さまざまな心の内側にうごめく思いを噴出させられます。看護師さんには身近なようでいて忙しそうで自分のことを聞くために足を止めにくいだろうという方が大変多くいらっしゃいました。病室を訪れる私はその患者さんとその手術の前にたった一回しかお会い出来ませんが、自分のことを知っていた上で来てくれているのだろうという前提でお話を随分されたものです。


治っていく命と亡くなる命
治っていく命と再発していく命もその後感じるようになります。再発してもその後治っていく命と亡くなる命。例えば同じような40代の女性としましょう。お子さんが3人ずついるとしましょう。再発時その後亡くなる命と治っていく命。単純にご本人や見守るご家族の支援や努力だけでは。命を分ける根本の意味が違うようにも感じていました。その頃から検査という仕事を通じて私はたまたま患者さまと接することが多かったおかげさまにより。私たちの命はどこから来たのか何のために生まれたのか。そしてどこへ行くのか。そのようなことを考えるうち病気になりにくい体づくりの予防医学的なことへ仕事を移り変わらせていきたいと感じていたものです。そう思いながらもすぐ総合病院を退職することにもなりませんでしたが、あるとき私のところに1日に何度となく検査データを知りたくていらしていた小児科のドクターがいました。何を調べていたのかといいますと。ぜんそくのお子さんが飲むお薬の血中濃度を知りたくてやって来られましたが、その量のコントロールが非常に難しい様子でした。そのドクターとはよくお会いしていたのですが。ある時、彼は自ら命を絶つこととなります。何とも言えない悲しい別れでした。地下にあります霊安室に降りたとき、医長であるドクターがそばに座っていて、亡くなったご本人のご家族のご到着を待っているそんな時でした。あんなに熱心だった先生が命を自ら絶つということが、当時はとても複雑な心境だったのを今も忘れられません。おそらく彼は昼夜関係なく命を削るように働いていて、様々な意味で追い詰められていたのではないかと感じています。
独立に向けて
やがて私は働き方を変えて、2人目の出産の後。臨床検査技師の仕事は時間的拘束を短くして、当時習っていたヨーガのほうでサークルとして地域の方々に指導を行い始めたいと準備をしておりました。ですが、オウム真理教事件が勃発した時と時期が重なり、全国的にヨーガというだけで、なんら関係のないスタジオや公共施設などでもヨーガを行っているということが市のほうにわかると、活動がまるで監視されるかのような事態になり始めたところで、習い続けることはしても。指導というのはまだ時期尚早だということで、東京の世田谷に本部がありました東洋医学や西洋の運動理論のほか体に必要な理論がギューッと凝縮された体操指導のほうの指導員となりました。
その体操は様な要素を含んでおりましたが、自分の住まう地域では第一人者だったこともあり、短い期間の間に随分とサークルも増え、同時に新聞社のカルチャー教室やテレビ局関連のカルチャー教室、社会教育委員会や保健科系列のお仕事と随分と依頼を受けたものです。
体操指導の資格を活かして。仕事をしながらその団体には丸10年所属し。11年目から自分独自の体操のネーミング(体喜操)に切り替えて活動していきました。独立するまでの10年間。お客さまと日々接するにあたり体を動かすことだけでは健康にはなりにくい方もいらっしゃいます。どういうことかといいますと心が先か体が先か、鶏が先か卵が先かというように体を動かしても心の内奥(ないおう)に問題を抱えている人はなかなか体がよい方向に向かって行きにくいようにも思ったとき、そのあたりから前世療法、インナーチャイルドヒーリング、さらには言葉を使った絵本の組み立てのように感情やエネルギーのブロックを手放していく、そうした学びや資格も取ることとなっていきます。


時期をそう大きく変わらずして。心身から解放されたいと願う方々にオイルマッサージやリンパマッサージなども必要に応じて学んでいくようになります。オイルマッサージは実に奥深く人に触れること触れさせていただくことの大きく包み込む〇〇式マッサージのすべてを包括するものがオイルマッサージのように感じています。このオイルマッサージの学びは特に晩年になってからも大変役立っていて、実際にオイルを使うかどうかは別として人々を撫でて行く、沈静化、沈めていく、心を整理していく、深く休んでいく、愛されているということ、大切にされているということをいっぱい味わっていただく。明日への気持ちが明るくなっていく、触れること、マッサージ系やセラピー系はそのような力となってお客様と共にあったと思います。
私自身、おかげさまで大きな病気や入院、怪我、そして北海道では移動の中心だった車、この車での接触事故などもなく、ずっと来ています、大変ありがたいことです。
申し遅れましたが、体操のほうで独立する頃に、かねてより習っていたヨーガのほうでの内容も盛りこむようになっていきました。瞑想中心とかアクロバット的な難しいヨーガではなく、体操的な要素も含みながら。ヨガを行うということをしておりました。
その後と言いますか、途中で離婚も経験し、さらには関東のある町でのパートナーとの暮らしも始まっていた。ちょうど50歳の頃から関東で彼と暮らしながら、北海道の親元へ、病気のサポートや、介護サポートや、不定期ではありながらも北海道へ帰り戻りつつ、そちらでの不定期ながら施術マッサージ系のお仕事もさせていただくというような11年でもありました。
予期せぬ出来事
そのような流れの中で今なお自分の中でも整理がつかない、言葉にしようがない出来事が起きます。互いに尊敬し合って一度も喧嘩などしたことがなかったパートナーが急死をすることとなります。それはそれは語りようのない、例えようのない経験です。ただ同時に私はいわゆる法定相続人ではないため、生きていくには自分の足で立っていくという力が必要となります。東京での暮らしに体操やヨーガやマッサージ系がよくよくたくさんのお客さまがいたかというと、不定期で北海道にもよく帰っていましたのでそういうわけにはいきません。じゃあ東京でも何をしていこうかということになったとき、亡くなった彼は一緒にいるときは、連日連夜のように背中をなでモモ裏を踏み、頭を撫でて、撫でて、じゃあよく寝るんだよ、おやすみと部屋を分かれていた。そのことを思い出すとき施術というぬくもりや愛のある温かな、触れるという行為は人々をこよなく安心させていたことに彼との思い出も重ねて、施術系のことで今後は生きる柱を立てていくことにきっかけにはならないだろうかと考えておりました。
そんな矢先、大阪に本部があります団体とのご縁によって。アーユルベーダーのシロダーラー。第三の目にインドでは胡麻油を落とす、私が所属しているところではその胡麻油を落とす第三の目付近に落とすのは8種類のハーブのエキスを凝縮したものです。額に落としていくという、そのハーブダーラーを使ったシロダーラーを始めることとなります。私が目指すのは単純に施術をやりたいということではなく。


庵あんと〜らすのスタート
庵あんと〜らすという名称をつけて、東京や遺品整理を済ませた北海道の自宅、どちらも使って行き来することを通じて、その方のお話に耳を傾け傾聴し、体をくまなく触れさせていただきながら心身を鎮静化、沈めさせて行き、その後にメインとなりますシロダーラーのハーブダーラエッセンスの滴下を時間的にはダブルという表現(だいたい約40分程度)行い、静かな時を経た後に起き上がっていただき、セルフの髪ドライヤーセルフドライをしていただいた後、祈りのように体を少し動かし伸ばして、手作りの五感回復食を召し上がっていただく、まるでコンパクトサイズのリトリートのように、約4時間から4時間半ほどかけながら和風のいおりでお過ごしいただくことを今は行っています。
静寂とともにその時を過ごし、その至福感が原始脳の脳幹や幸せを感じる脳内へと共に働き共同し、そこで起きたゼロリセットが明日からのみなさんの、また無限の可能性へと向かっていく、そんな一助になることを今は行っています。体操やヨーガの指導がメインだった時代はだいたい10年間で10万人ほどの指導に携わらせていただきましたが、10年間で10万人ほど、この延べ人数に対してこれからどれくらい多くの方々にお会いできるかはわかりません。でも私の後に続く指導する方を養成していきたいこととともに愛情をこめて、手をかけ、心を目配せし、お一人おひとりの存在をかけがえのない大切な存在としてゆっくり十分にご接待させていただけてこそ、その方がまた新しい自分に気づいていけるのではないでしょうか。
きれいに自分が洗い流されていく、まるで祓い清められて行く、ゼロという地点に戻って再出発をして行く、本当の意味で内奥からの力を引き出していくような存在になっていく、そんな私でありたいと思っています。
さて、ここからは私の学びとプライベートを合わせたお話をいたします。
言霊 げんれい
2019年のコロナ禍に突入する約1年近く前から、言霊。ことたま。言霊―――これはひらがな読みか濁音付きか、また音読みなわけですが、ことたまの個人レッスンを受けていたことから、その学びをさらに専門的に進めていった時代がありました、時代というのは私の中での時代です。もうそれは目からうろこどころではなく驚くことばかり、古神道からの学びでもあります。一子相傳のこれから天皇になられます方のみをお育てくださっていたある団体の秘宝、一般に出回ることがなかった、その大切な学びを一般のものでも受け取ることができるようになってきた時代があります。なぜかというようなことは今省きます。その最初のほうにその団体のかかわりとはまた別に手にした本で五十音の一音一音にご神名すなわち神様のお名前がついているということがわかりました。一音一音に神様のお名前がついていてそれぞれにお働きがあるということは神社に行って神々にお詣りして神様を崇め奉るというよりも自分そのものが神であるということがなんだか普通にストンと自分の中に納まりました。
それよりも数年前にカタカムナの世界で、こちらはまたカタカムナの研究といいますか書物ほか様々な角度から表現している方々が多くいらっしゃいますので、その方によって説明といいますか考え方といいますかは異なるかと思うものの、私は吉野信子さんの思いに念ずる思念表というのを見ながら参考にさせていただき一音一音にあるその意味、本質の意味というものを様々な現象や言葉にどういう意味があるのかということを調べるようにもなっていった時でもありました。それらが重なっていくときに、私たちはご先祖代々のみなみなさまと連綿とつながる命の一部であることはさることながら、この神をまとった人々が表面的にはタイ=体ですね、体から始まり内へ内へと情・魂・霊ですね。そしてシン=神。「体・情・魂・霊・神」この五階層をすべての人が持ち合わせているということを知ることともなります。


多くの人が身体か感情かのところを右往左往しながら、やがては寿命を閉じていくことになることも多いのですが、私は魂から霊へ霊から神もつかみ取るといいますか、共存し感じ取りながら日々を過ごしていく、そうなれば夢や希望や可能性も、より開いていくと感じていることを触れさせていただく時にも、お客様と向き合わせていただく時にも、そうした在り方、施術のその前にその在り方をとても大切にしています。
ある意味、神々を扱わせていただくような気持ちで接していると言えましょう。同時になんだか人に触れることを通じて指導させていただくときにはこの在り方を持って、ご参加される方々のお名前をもとにその方の本質の意味を解き明かしたり。使うお道具の意味を思念表からも紐解いたり、単純にどこを撫でてどこを撫でてどこを撫でたら終了するというようなやり方ではないということも大事にしながら、日々そこから繋がる、見えてくるものを感じ取るように生きています。
